あやしいケモノ、恐ろしい竜、家にもいます。
今年(2014年)新作のゴジラが公開されまするが、ゴジラは放射能由来ですね。でもなんといっても恐ろしいのはやはり人間です。
原発はそら恐ろしい放射性ゴミを処理する手段が確立されていないし、仮に技術が良くても、そのシステムを運営する人間や組織(東電やら政府やらその他官僚やら)を信頼できるか怪しい。信頼できない人たちが運営するシステムなんて、危なっかしくてしょうがない。
今年(2014年)新作のゴジラが公開されまするが、ゴジラは放射能由来ですね。でもなんといっても恐ろしいのはやはり人間です。
原発はそら恐ろしい放射性ゴミを処理する手段が確立されていないし、仮に技術が良くても、そのシステムを運営する人間や組織(東電やら政府やらその他官僚やら)を信頼できるか怪しい。信頼できない人たちが運営するシステムなんて、危なっかしくてしょうがない。
石原慎太郎のような政治家が、「システムを変えれば日本の技術なら大丈夫」というようなことを言ったって駄目です。システムも人間が作るのです。
原発に限らず、日本のいろんなことがこの「信頼できない人たちによる信頼できないシステム」になってるような気が、いたします。
だから私たちは、まず「信頼に値する人」をきちんと視て選ぶようにないといけません。
そういうわけで、原発再稼働なんて、やはり簡単には認められないわけです。
怪獣はそうした恐怖そのものの象徴のように言われたりして、それは作品としてはまあいいんですが、やっぱり怖いのは人間です。
「銃は人を殺さない、人が人を殺す」、「エレベータも人間を殺さない、システム内の『人間の瑕疵』が人を殺す」、そして「怪獣も人を殺さない、人が社会を破壊する」のだと思います。