「時事」というカテゴリを設けているもののここに記事が少ないのは、書き出すときりがないし一過性になることもあるのでどうしようか、と迷っているからですが、ともかく共通して言えるのは、
- 我々国民・市民・一般人(呼び方はいろいろだが政治家や官僚や経済界とかに動かされる側にいる人たち)が、論理的でコモンセンス=良識にしたがって、まずちゃんと自分で考える。
- 一人一人がその考えに基づいて、世の中の動きを注視していくべき。
ということだと思います。
そうしてみたときに、いろいろな事象が「おかしい」と思ったら、投票とかデモとか、ネットなどいろんな形で表していく。小さい動きでもそうしていかないと、みんな丸め込まれてしまうような気がします。
一番基本的で手軽で行使しやすいのが選挙権です。選択肢も狭くて難しいのはわかりますが、やはり最低、投票には行った方がいいと思います。
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で、「おかしい」と思う事象のひとつ、集団的自衛権。問題の焦点はなんなのか??
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集団的自衛権を容認だか行使だか、ともかく使えるようにしたいそうです。
「平成25年10月27日平成25年度自衛隊記念日観閲式 安倍内閣総理大臣訓示」
でも首相が言ってます。かと思えば、もう少し先送りするなどとも言いだしたりしています。
集団的自衛権は国連憲章でも定められた国際法上の権利ですが、日本がこれを行使するには当然、憲法9条の制約と合わせて考えなければなりません。
どう考えても、憲法9条を改定しない限りどんな理屈も屁理屈にしかならないと個人的には思っています。
それにもう、争いはやめていかに平和解決をするかを考えたほうがよさそうなもんですが、なんでいま、殊更に集団的自衛権の行使が取り沙汰されるのか、がわかりません。まあ、中国なのかもしれないけど。
そもそも攻撃が起きないように、中国ともアメリカとも仲良くする、アジアとも仲良くする、となればいいのに、と単純には思います。
世界は完全に平和ではないので、自衛はもちろん、誰かが襲われたら一緒に助けることを考えるのもまあ国家的には必要なのはわかりますが、せっかく憲法9条があるのだから日本が率先して中国ともアメリカとも仲良くする、アジアとも仲良くしてみんないい国、になってしまうというような単純な発想の転換にはならんのでしょうか?(理想論なのは承知)。
それはともかく、まさかアメリカが誰かに襲われたら日本が助けに行くために集団的自衛権を行使できるようにするわけではないと思いますが、どうも中国を想定して、東南アジアの国々は、アメリカに加えて日本が動いてくれるのを多少は期待しているフシはあるのかもしれません(ex:日本自民党幹部「東南アジアも集団的自衛権行使の対象」 )。みんな中国怖いんですかね。難しいですね。個人的には中国映画大好きだし、中国武術も面白いんだけど。もちろん東南アジアも大好きです。
それもともかく、憲法9条。私はこれを変える必要はないと思っています。
1991年の湾岸戦争では、事実上国連憲章42条(武力行使)に基づくと言ってよいと思われる、多国籍軍によるクウェート救出のためのイラク攻撃が行われました。これは国際法上の根拠がかなり明確な戦争でそれゆえ、国際貢献のために当時小沢一郎氏は自衛隊を出せ、と言ってました。けれど憲法との関係で結局自衛隊は出せませんでした。
2003年のイラク戦争に自衛隊を出したのは当時の小泉首相。でもこの戦争は国際法上の根拠が不明なのに日本国憲法を通り越して自衛隊を出しています。
小沢一郎氏の判断に比べると、小泉首相のこの決断のほうが出鱈目だと私は思っています。小泉首相ってほかも出鱈目でしたけど。
どっちにしろ、集団的自衛権の前に日本の国内法問題、すなわち憲法の問題です。法治国家なんだから法に従って原発を再稼働しろ、という人がたまにいますが、じゃあ法治国家なら憲法を守って集団的自衛権は行使できない、となぜ言えないのか。
どちらも人間の生存に関わる話です。人間の生存、健全に生きる権利を想ったときに、どう考えるのが良いのかに立ち返って考えたほうが良いのでは、と思います。
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テレビや新聞などの大マスコミしか見ていない視野狭窄の国民でもよく見れば論理矛盾だらけなのがわかるはずなのに、選挙をすれば自民党(や公明党も?)が勝ってしまい、へんな都知事がものすごい得票数(2012年ね)だったりします。
一番の難点はここ=国民の意識=だと思います。
(文中敬称略)